ひと、まち、あしたの創造
ひと・まち・あしたの創造
私たちは考えます。医療だけでいいのだろうか、介護だけでいいのだろうか、福祉だけで十分なのだろうか、と。私たちはたくさんの繋がりやたくさんの支えの中で生きています。一人ひとりがどんな環境、どんな状態であったとしても、その人がその人らしく生きていける─そんな地域を皆さんと一緒に育てていきたい、そんな地域に必要とされる一員でありたい。“医療法人 Community Life Suport すがはら” の名前にはそのような思いを込めています。
医療法人CLSすがはら 理事長
菅原 謙三
使 命    明るい明日を創る
ビジョン   願いが叶うまちを創る
私たちの価値   私は人が生きるのを活かす
使 命
 明るい明日を創る
ビジョン
 願いが叶うまちを創る
私たちの価値
 私は人が生きるのを活かす
 
 
     行動指針
 
一人ひとりが常に、他者を一人の人として、思い考え、行動する
一人ではできないことを自覚し、共有し共感しながら、物事を実現させるよう行動する
一人ひとりが対等な関係を築き上げ、活かし合うよう行動する
積極的に人と関わる仕組みや空間を作る
一人ひとりが自分にできる(物事の大小関係なく)、他者への関わりを考え行動する
目的意識を持ち、「何の為(誰の為)に何をするのか?」を常に考え行動する
行動指針
一人ひとりが常に、他者を一人の人として、思い考え、行動する
一人ではできないことを自覚し、共有し共感しながら、物事を実現させるよう行動する
一人ひとりが対等な関係を築き上げ、活かし合うよう行動する
積極的に人と関わる仕組みや空間を作る
一人ひとりが自分にできる(物事の大小関係なく)、他者への関わりを考え行動する
目的意識を持ち、「何の為(誰の為)に何をするのか?」を常に考え行動する
 菅原病院の前進である菅原医院は炭鉱坑内の粉塵作業に伴う呼吸器疾患などを中心に、じん肺患者さん方の療養の必要により昭和38年に設立されました。石炭発祥の地である大牟田は、明治以来石炭産業の街として栄えていました。そのため多数の炭鉱坑内作業者がおり、坑内での粉塵作業に伴い呼吸器疾患が増加しその療養が必要とされていました。
 初代菅原謙次は戦後、三井天領病院(当時)に勤務し、塵肺患者の診療を行っていました。三井天領病院退職後は患者さんの継続的な療養のため、昭和38年に菅原医院を開設、昭和43年には菅原病院を開設、入院病床数30床の病院としてスタートしました。その後、当病院は結核病棟を含め100床に拡張、昭和53年には木下太郎が院長に就任し、じん肺患者や結核患者の診療を行いました。
 平成2年、現在の院長である菅原謙三が院長に就任しました。大牟田の石炭産業の衰退、少子高齢化という状況を鑑み、平成15年に一般病床から療養病棟に転換し、病床数60床へと移行しました。それに伴い病院の全面改装を行い、食堂・談話室、理学療法室や特浴など、患者さんにとって充実した様々な施設やサービスを設けました。
 平成24年に個人病院から医療法人CLSすがはら 菅原病院へ移行しました。法人化により事業の永続性が増し、介護事業等の附帯業務が行えるようになりました。
 平成27年5月に地域密着型特定施設「てとての森」(18部屋)を開設。合わせて地域交流施設「てとての広場」をオープンしました。
 平成27年にはこれまでの上屋敷町から小川町へと病院を新築移転しました。病院機能はそのままに、これまで以上の医療サービスを提供するため病棟やリハビリ室を中心に、大幅に見直しをはかりました。
 現在でも、軽症から重症のじん肺患者約250名の治療や日常管理など呼吸器疾患を中心に診療を行っています。また一般健診・企業健診を含めた地域住民を対象とした、地域密着型の診療を行っています。

昭和43年、菅原医院から菅原病院へ。大牟田市正山町から同市上屋敷町へ移転した。

病院名  医療法人CLSすがはら 
理事長  菅原 謙三 (すがはら けんぞう) 
所在地  〒836-0036 福岡県大牟田市小川町30番地1 
連絡先  TEL.0944-55-1212(代表) FAX.0944-55-1102 
事業所  菅原病院
てとての森(地域密着型特定施設)
あすなろの郷(居宅介護支援)
あすなろの樹(訪問看護/訪問リハビリテーション)
通所リハビリテーション
てとてのキッズ(児童発達支援・放課後等デイサービス・保育所等訪問支援事業)
てとてのたまご(企業主導型保育園)
てとてのりぼん(指定特定相談支援事業所・指定障害児相談支援事業所)
てとての学童クラブ
就労移行支援 ディスカバリー
地域交流施設 てとての広場
地域交流施設 おにぎりべんち
地域交流施設 てとてのコミュニティサポートセンター